浅利篤と色彩心理学の関係
浅利(あさり)篤(あつし)先生(せんせい)は、色盲(しきもう)矯正(きょうせい)教育(きょういく)会(かい)会長(かいちょう)・日本(にっぽん)児童画(じどうが)研究会(けんきゅうかい)会長(かいちょう)を務め(つとめ)た方(ほう)です。色彩(しきさい)心理学(しんりがく)とはかかわりのないように思わ(おもわ)れるかもしれませんが、浅利(あさり)先生(せんせい)も発見(はっけん)したある診断法(しんだんほう)が色彩(しきさい)心理学(しんりがく)と深い(ふかい)関係(かんけい)を持っ(もっ)ているのです。浅利(あさり)篤(あつし)先生(せんせい)は、東京都内(とうきょうとない)の商業(しょうぎょう)高校(こうこう)、旧制(きゅうせい)の中学校(ちゅうがっこう)の教諭(きょうゆ)を務め(つとめ)、全日本(ぜんにほん)科学技術(かがくぎじゅつ)団体(だんたい)連合会(れんごうかい)、日本(にっぽん)出版(しゅっぱん)文化(ぶんか)協会(きょうかい)、日本(にっぽん)美術(びじゅつ)工芸(こうげい)統制(とうせい)会(かい)を経(へ)て、一師団(しだん)一連隊(れんたい)四軍(ぐん)司令部(しれいぶ)の軍歴(ぐんれき)があるそうです。独立(どくりつ)美術展(びじゅつてん)第(だい)1回(かい)展(てん)に入選(にゅうせん)し、申請(しんせい)美術展(びじゅつてん)や美術(びじゅつ)文化展(ぶんかてん)の創立(そうりつ)委員(いいん)でもありました。美術(びじゅつ)創作(そうさく)の科学的(かがくてき)理解(りかい)を目的(もくてき)にして、作品(さくひん)の心理(しんり)生理的(せいりてき)意味(いみ)を発見(はっけん)し、色盲(しきもう)矯正(きょうせい)法(ほう)や心理(しんり)診断法(しんだんほう)を創案(そうあん)したそうです。日本(にっぽん)著作権(ちょさくけん)協議会(きょうぎかい)会友(かいゆう)でもあり、1973年(ねん)に小岩井(こいわい)小学校(しょうがっこう)を退職(たいしょく)、1999年(ねん)に逝去(せいきょ)されました。浅利(あさり)児童画(じどうが)診断法(しんだんほう)とは、色彩(しきさい)、構図(こうず)、形態(けいたい)の三つ(みっつ)の標識(ひょうしき)を駆使(くし)して、絵(え)から子ども(こども)の性格(せいかく)、家庭(かてい)環境(かんきょう)、心理(しんり)、健康状態(けんこうじょうたい)などを理解(りかい)することを可能(かのう)にしたものです。1951年(ねん)に浅利(あさり)篤(あつし)先生(せんせい)によって、子供(こども)の絵(え)に表れる(あらわれる)紫色(むらさきいろ)で、その子ども(こども)のけがや病気(びょうき)、けがの身体上(しんたいじょう)の位置(いち)や病名(びょうめい)まで知る(しる)ことができるという驚く(おどろく)べき事実(じじつ)が発見(はっけん)されたそうです。この発見(はっけん)以外(いがい)でも、「色(いろ)」を二色(にしょく)、三色(さんしょく)などの組み合わせ(くみあわせ)た色彩(しきさい)の生理的(せいりてき)、心理的(しんりてき)解明(かいめい)にも至って(いたって)、血液(けつえき)異常時(いじょうじ)の色(いろ)の組み合わせ(くみあわせ)、ガンカラー等(など)、色彩(しきさい)心理学(しんりがく)以外(いがい)では医学的(いがくてき)にも興味深い(きょうみぶかい)発見(はっけん)も含ま(ふくま)れているそうです。また、チューリップや太陽(たいよう)などの「形(かたち)」が、母親(ははおや)や父親(ちちおや)のシンボルであることなども発見(はっけん)されています。
色彩心理学
浅利篤先生は、色盲矯正教育会会長・日本児童画研究会会長を務めた方です。
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